最近中国語に関わる機会が増え、パソコンで中国語を入力する事にも大分慣れてきました。中国人が話す日本語のよくある間違いの中から、日本人との感覚の差を実感しています。語学を学ぶには、その国の歴史や文化を知らなくては、本当に理解できないように思いました。
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前回は、「中国人の功徳観」について紹介しました。今回は、中国人の縄張り感覚の違いについて紹介したいと思います。
日本人は、狭い島国に住んでいるせいか、自分の縄張り感覚が強い。縄張り感覚が強い日本人は、自分だけの狭い空間に入ると、ホット安心したりします。一方、中国人は広大な大陸に住んでいるせいか、その縄張り感覚は、おおらかです。狭い空間を嫌う中国では、皇帝の住む紫禁城でも個室トイレは無く、「おまる」で使用していました。地方に行けば、公衆トイレにはドアは無く、私が中国にいた頃、デパートで働く綺麗な女性が、トイレの扉を開け放っていて、驚いたものです。
また、中国語と日本語の違いにも現れています。日本語は、自分以外の第3者について述べるとき、相手の心の中まで断言する言い方はしません。でも、中国語では他人の心の中も自分のことと同じように断言した言い方をする。例えば、日本語では「彼は嬉しがっている」といいます。中国語では「他很高兴。」と言い、そのまま直訳すると「彼は嬉しい」という風に断言しています。中国人の言語表現は、相手の心の縄張りに、遠慮なく踏み込みます。
「和魂洋才」→日本固有の精神をもって、西洋の技術や学問を身につける。
「中体西用」→中か文明の思想や伝統を本体とした上で、西洋の科学技術を利用していく。
「中体西用」の「体」とは、「名は体を表す」という「体」と同じです。誰の目にもはっきり見えないといけません。21世紀の今日でも、中国の国家建設の発想は、この「中体西用」です。中国共産党の第一党独裁体制は「体」であり、近代化の象徴である高層ビルや高速、株式市場などは「用」です。ですから、「体」である中国共産党は、経済発展が進んでも変わらないのです。あくまで「用」の向上は「体」の強化手段に過ぎないからです。
いわゆる、「靖国神社参拝問題」は、「魂」や「心」を重視する日本側の思いと、これを「体」の問題にしている中国側。つまり、中国にとっては、日本の顔である首相が公に参拝する事自体が問題なのです。この考え方の違いから生じている問題なのです。
このような縄張り感覚の違いから、日常生活から国政レベルまで様々な問題が生じています。例えば、ある日本人が、中国で列車に乗った時の事です。彼が4人向かいの座席に座っていたとき、買った雑誌を窓の小さなテーブルに置いていました。すると、向かいに座っていた見知らぬ婦人が、何食わぬ顔でさっと手に取り、読んで、黙って元の場所に戻したのです。日本人なら、他人の物は手に取らないか、一言断りを入れるのが普通です。そして、これと同様に国政問題となったのが、東シナ海の日中中間地点におけるガス油田開発をめぐる問題です。日本が黙っていれば、中間にあるものに手を伸ばしてくる。これが、中国人の縄張り感覚なのです。縄張り感覚が大らかなため、日本側のとっては、非常識国家と思ってしまうのですが、あくまでこれは、中国人にとっては当たり前の感覚なのです。(となると、中国が故意にしてきた時は、そうとう覚悟しないといけないということなのでしょうか。)
知的所有権についても、中国国内で海賊版が反乱しているのも、この大ざっぱな感覚からきているのかもしれません。私も、色々な友人を通して、著作権に関して、中国人には一切罪悪感というものはないのだと、再確認しています。
こういった感覚の違いも、今後中国人を相手にビジネスや交渉をする上でよく理解しておかなくてはいけません。
参考文献:「貝と羊の中国人」




